日本の刑務所は、社会全体の高齢化に比例して高齢受刑者(65歳以上)の比率が増加し、刑務所が「介護・福祉施設化」という深刻な課題に直面しています。
受刑者の高齢化は、刑務官の生活支援・介護負担を増大させており、そのリソース確保が喫緊の課題です。
この難題に対し、東京都にある府中刑務所では、理学療法士による専門的な介入を導入し、受刑者の介護予防と社会復帰に向けた画期的な活動に取り組んでいます。
今回は、2016年より10年以上にわたり、受刑者の介護予防・再犯防止に取り組んできた理学療法士の阿藤貴史さんに、刑務所における理学療法士の役割と課題についてお話を伺いました。
刑務所「高齢化」の深刻な現実
ー 阿藤さんが刑務所での支援に関わり始めたきっかけを教えてください。
阿藤さん きっかけは、高齢受刑者さんへの運動指導者を探しているという知人からの相談でした。
当初は健康運動指導士のような方を求めていたようですが、依頼内容を伺った中で理学療法士でもできることをお伝えしたところ、関心を持っていただいたことが始まりです。
理学療法士であれば、介護予防のためにどのような運動や能力が必要なのかをしっかり評価することができ、評価に基づいてプログラムを組むことができるのが強みです。
そうした理学療法士の専門性について府中刑務所の方々にもお話したところ、受け入れていただき活動が始まりました。
ー 実際に刑務所の現場に入られて、受刑者の高齢化をどのように実感されましたか?
阿藤さん 府中刑務所は、特に二度・三度と犯罪を繰り返している累犯者が多く、高齢化率も高いです。
また府中刑務所には、日本人受刑者の約4割が収容されているといわれており、日本で最大規模の刑務所です。
個人差はありますが比較的、長期間を府中刑務所で過ごす人は少ないです。再犯を繰り返し、何度も刑務所でお会いする人にも、この10年では出会ってきました。
また現場では、刑務官の方々が受刑者の生活介助や介護支援に割く時間がものすごく増えていて、本当に老人ホーム化しているような状態です。
刑務官がトイレ介助やオムツ交換、入浴介助をせざるを得ない状況を皆さんは想像できますか?社会復帰に向けた矯正を計るのが刑務官の仕事であるのに、介護を余儀なくされているという現状はどこか矛盾しているようにも思います。
集団で移動する際も、高齢者は移動スピードが遅いため、一緒に横を歩く刑務官の時間が奪われ業務が圧迫されています。
高齢者に対する人員配置の問題もそうですが、単に施設側の負担が増えるというだけでなく、受刑者自身の社会復帰の妨げにもなっています。
身体的な衰えが、彼らの社会生活を困難にしており再犯にもつながっているのではないかと考えています。
介護予防と「再犯防止」の関係性
ー 理学療法士の視点から見て、高齢受刑者が再犯を繰り返してしまう根本的な原因は何だと分析されていますか?
阿藤さん 根底にあるのは「社会的孤立」です。外に出ても仕事や趣味がなく、誰か心配してくれる人もいなかったりすると、衣食住が保証され、さらに役割さえある刑務所の方が居心地が良くなってしまうという現実があります。
刑務所の中は皆さんが想像しているよりも生活感があり、年に1回運動会も開催されます。日頃から自由に動けない受刑者たちがとてもいきいきとしており、応援団長をされていた男性も何度か再犯を繰り返しているという話をされていました。
塀の外があまり魅力的に感じていないのではないでしょうか。
ー 再犯と社会的孤立に影響する身体機能の低下とはどのようなつながりがありますか?
阿藤さん 受刑者へのアンケートやヒアリングを行うと、「外に出るのが億劫だ」「歩くスピードが遅くなった」といった身体的な不安が、社会参加の意欲を削いでいることがわかってきました。
足腰が痛くて外に出たくない、面倒だから生活保護の申請にも行かない。身体機能の低下が行動力の低下を招き、結果的に社会的なつながりを断ち切り、再犯に至るという構造です。
刑務所の中にいる方が、安心して生活ができる居心地の良さを感じてしまうほどに、高齢受刑者にとって社会的な孤立は大きな問題なのではないでしょうか。
ー このような実態の中で、理学療法士が担う役割についてどのようにお考えですか?
阿藤さん 私たち理学療法士の役割は、身体機能の維持・向上を通じて、彼らに活力をみなぎらせることです。
身体が動くようになって気分も明るくなり、外の世界への意欲も湧いてきた時に、初めて外に出てやりたいことが出てくるのではないかと思います。
出所後に「外も捨てたもんじゃないな」と感じてもらい、「もうここ(刑務所)には戻らなくていいかな」という気持ちを持たせ、そのために頑張ってもらう。これが受刑者の支援に関わり続ける大きな目的です。
取り組み内容と受刑者の心身の変化
ー 具体的な運動指導のプログラムや、評価内容について教えてください。
阿藤さん 運動指導は、大きく分けて二つの形で提供しています。
一つは、週に4日間、夕方に流される運動指導DVDの納品です。筋力トレーニング、ストレッチ、ほぐしなど、目的別のプログラムを複数種類作成し、定期的に内容を更新しています。
もう一つは、私が直接訪問する週に1回の対面指導です。私が訪れる日の冒頭10分程度は、その日の受刑者の具体的な訴えを聞き、個別的な対応を取り入れるようにしています。
「今日は腰が痛い」「最近フラフラする」といった訴えに応じて、その日の運動内容を調整します。対象者は、病舎(医師や看護師から医療行為を受けられる場所)に入るほどではない、介護予防レベル(要支援レベル)の方々です。
提供しているDVDの一部
ー 評価項目については、どのようなものを取り入れていますか?
阿藤さん 体力測定としては、TUG(Timed Up and Go Test)、片足立ち、握力などを実施しています。
なかなか短い時間の中で、個人ごとの評価をとることは難しいのですが、今後はよりエビデンスに基づいた評価体系を確立していきたいと考えています。
ー 関わってきた中で受刑者の方々の変化について、印象的なエピソードはありますか?
阿藤さん 初めてお会いするときは、みんな死んだ魚みたいな目をしていて、非常に緊張感があります。しかし、運動指導を通して関わり続けていくと、だんだんニコニコと笑顔が見えるようになったり、受刑者側から発言も出てくるようになります。
なかには、活動意欲を取り戻して心身ともに元気になり一般工場(受刑者の作業場)に戻った受刑者もいます。彼らが「役割」や「希望」を見つけることが、何よりも重要なのです。
また、以前は工場での作業が難しい高齢者は居室にいるだけでしたが、今ではこうして身体機能を高めることを目的とした作業場があります。
ここでは主に作業療法士が活動していることが多いですが、身体機能向上に関しては理学療法士が関わるメリットが大きいと感じているところです。
ー 阿藤さんがプロ格闘家であることも、受刑者との交流に影響を与えていますか?
阿藤さん そうですね。受刑者も私が格闘家であることを知っているので、試合の応援をしてくれたり、「タイトルマッチはどうだった」などと声をかけてくれます。
刑務官ではない「外部の人間」との、塀の外の世界に繋がる貴重な交流の場になっていると感じます。
私が関わっている府中刑務所の受刑者たちは「ちょっと自分に甘いところがある普通の人たち」で、怖い極悪人ではありません。その彼らが、社会とのつながりを感じることで、再犯への歯止めになると思っています。
活動の課題と展望
ー 10年ほど理学療法士として関わる中で、直面している課題は何でしょうか?
阿藤さん 大きな課題は二つあります。一つは客観的評価の標準化とエビデンスの確保です。
塀の外で使われている介護予防のチェックリストや評価基準を積極的に導入し、学会発表などを行うことで、「理学療法士が関わることで効果が出ている」というエビデンスを積み上げる必要があります。
もう一つが、医療情報の共有です。受刑者の身体情報は「腰痛がある」「半身不随」といったざっくりとした情報しか共有されません。リスクヘッジに必要な詳細な情報が不足しており、連携体制の整備が不可欠です。
今は個人に確認してどんな既往歴があるのか、服薬している薬などについて教えていただいていますが、そうした情報をしっかり管理できるようになることが必要だと感じています。
ー 今後の展望を教えてください。
阿藤さん 高齢受刑者の多くは、出所後に生活保護など社会制度を利用できる立場にあるにもかかわらず、申請に行かないという現実があります。足腰が痛い、電車に乗るのが面倒、という身体的な理由や、意欲の低下から起こっていることです。
理学療法士が介入することで、身体機能を改善し、適宜、適切に制度を利用するための「意欲」や「行動力」を支援していきたいと考えています。
将来的には、この取り組みを全国の刑務所へ広げて新しい社会復帰のモデル構築をしていきたいです。現在、刑務所内では、若い受刑者が介護の資格(ヘルパーなど)を取れる仕組み作りが進められています。
出所者が、現在受刑している高齢者の介護を担うという、お互いに助け合う福祉連携のモデルを実現したいと考えています。
これは、私たち理学療法士が身体機能と社会性を結びつけるからこそ、実現に近づく可能性を秘めていると信じています。
引用・参考
■ 株式会社ARROW(公式HP)
■ 高齢女性受刑者への対応(令和6年版 犯罪白書)
■ 全国最大 府中刑務所の中を歩く 受刑者同士で介護訓練 進む高齢化(朝日新聞)
■ 第1節 犯罪の動向(令和6年度 犯罪白書)