先日放送された番組で、東京大学医学部附属病院の喉頭外科医・上羽瑠美先生による嚥下障害に対する外科手術が紹介され、多くの視聴者に「口から食べる喜び」の重要性が伝えられました。
一方で、こうした手術の背景には、リハビリテーションを通して機能改善を支える言語聴覚士(ST)の存在があります。
今回、東京大学医学部附属病院リハビリテーション部副技師長・摂食嚥下センター副センター長である言語聴覚士の兼岡麻子さんに、摂食嚥下リハビリテーションの概要と言語聴覚士の重要性についてお話を伺いました。
兼岡麻子さん ご略歴
2000年に国立障害者リハビリテーションセンター学院を卒業後、小児領域で臨床経験を積む。2005年より新潟大学医歯学総合病院総合リハビリテーションセンターで急性期リハビリテーションに従事。2009年より東京大学医学部附属病院リハビリテーション部に勤務。2011年より休職し、ボストン大学大学院へ留学。2012年に修士課程を修了、帰国後の2015年に復職。さらに2016年に同大学大学院博士課程を修了し博士号を取得。2021年より摂食嚥下センター副センター長、2026年よりリハビリテーション部副技師長を務める。
嚥下障害におけるリハビリテーションと外科的治療
ー 先日テレビで放送された嚥下機能の改善において外科手術に大きな希望を感じた視聴者も多かったと思います。「リハビリテーション」と「手術」はどのような関係にあるのでしょうか。
兼岡さん 嚥下障害は、飲み込みが難しくなる状態のことで、乳幼児から高齢者まで生涯にわたってみられます。原因は、脳梗塞などの疾患や加齢、発達の問題などさまざまです。
当院では、STが対応する患者さんのうち、7~8割が嚥下障害で、残りの2~3割が失語症や構音障害です。特に急性期病院では、嚥下障害への対応が強く求められています。
嚥下障害は医師が評価・診断を行います。その結果最初に提案されるのは、手術ではなく、多くの場合、リハビリテーション訓練による機能改善、あるいは食べ方や姿勢の工夫などを取り入れることで口から食べる練習をすることです。
STは、筋力増強訓練や感覚促通などを通して嚥下機能の改善をはかります(間接訓練)。また、評価の結果、患者さんが少しでも口から食べられる状態であれば、食形態の調整(嚥下調整食)や姿勢の工夫、誤嚥しにくい食べ方を用いるなどして実際に食べる練習(直接訓練)を行います。
外科手術は、こうしたリハビリテーションでも改善が難しい場合に検討されます。例えば脳梗塞では、おおむね6か月程度リハビリテーションを継続しても十分な栄養摂取が困難な場合に手術が選択肢となります。また、筋萎縮性側索硬化症(ALS)などの進行性疾患では、病状の進行に応じて手術が検討されます。
このように、嚥下障害に対してはまずリハビリテーションを行うことが基本であり、改善が難しい場合に手術という選択肢が検討されます。今回の特集を通して、手術によって新たな可能性が広がることも含め、嚥下診療の全体像が伝われば嬉しいです。
「手術の種類」と「術後リハビリテーション」
ー 番組で紹介された外科手術について、教えていただけますか。
兼岡さん 嚥下障害に対する外科手術には大きく分けて2つのタイプがあります。
・嚥下機能改善手術:咽頭・喉頭を飲み込みやすく誤嚥しにくい形態にする手術
・誤嚥防止手術:唾液の誤嚥により誤嚥性肺炎を起こすのを防ぐために、気道と食道を分離する手術
日本では耳鼻咽喉科医がこのような手術を行っていますが、実施できる施設は極めて限られています。嚥下機能改善手術では、術後に経口摂取を目指しますので、リハビリテーションが重要になります。
STは食形態の調整、食べ方や姿勢の工夫などを取り入れながら、安全に「口から食べる」ことを支援していきます。一方、誤嚥防止術は肺炎予防を主な目的としていますが、なかには手術後に(気道と食道が分離した状態で)食べられるようになる方もいます。
10年後の未来を見据えたアメリカ留学
ー 兼岡さんは,以前ボストンへ留学されていたとお聞きしました.世界から見た日本の言語聴覚士に対して感じたことはありますか?
兼岡さん 私はSTになって最初の5年間は、小児の発達支援に携わっていました。その後、新潟大学医歯学総合病院で急性期リハビリテーションを4年経験し、東大病院ではリハビリテーション部の言語聴覚療法部門の立ち上げというタイミングで採用されました。
臨床をしながら慌ただしく過ごす日々の中で、10年後の自分を想像したときに、「臨床だけでなく、学術的な議論ができ、国内外にデータを示せるような、教育・研究の役割も担えるSTでありたい」と強く思うようになりました。そこで、休職してアメリカの大学院へ留学しました。
アメリカでは、speech language pathologist(SLP:日本のSTに相当する職種)の職域が非常に広く、嚥下内視鏡検査(VE)や嚥下造影検査(VF)もSLPが主体となって実施しています。また、SLPの社会的な認知度は高く、給与水準も高いため「なりたい職業トップ10」に入るなど、ステータスの高い職業といえます。
大学院では研究だけでなく、大学附属病院での臨床にも関わっていたのですが、SLPは一人ひとりの自立性が高く、個々の能力も非常に高いと感じました。個の力が強い分、チームというよりは単独で業務を担う場面も少なくない印象がありました。
それに対して日本の嚥下診療では、 医師、看護師、言語聴覚士、管理栄養士、薬剤師、そして歯科医師など、多くの職種が関わり、カンファレンスを行い、施設によってはラウンドも実施されています。
このような多職種連携の文化は、世界的に見ても非常に特徴的で、日本の強みだと思います。特に、歯科医師が嚥下領域に深く関わっている点は、日本独自のものです。
日本の「嚥下調整食」が守る患者さんの尊厳
ー 日本ではヘルスケア関係の企業が多いですが、そうした影響もありますか?
兼岡さん まさに日本の強みは「食」の質の高さだと思います。企業による開発・改良の努力も非常に大きく、嚥下食の見た目や味、香り、質感はいずれも洗練されています。お正月用の「嚥下おせち」などもあり、食を楽しむ工夫に溢れています。
一方、アメリカでは嚥下食のバリエーションはそれほど多くなく、文化的な違いも影響していると感じました。アメリカでは「嚥下障害があっても普通食を食べたい」という個人の意思が尊重される傾向があり、嚥下食に対するニーズが日本ほど細分化されていない印象を受けました。
日本には「食を楽しむ」ということにしっかりと向き合う文化があります。その繊細さが、患者さんが「明日も食べたい」と思える力につながっており、リハビリテーションのモチベーションにも直結する重要な要素だと感じています。
東大病院「摂食嚥下センター」のあゆみ
ー 東大病院で「摂食嚥下センター」が正式にスタートしたのは2021年と伺いましたが、そこに至るまでの経緯はどのようなものだったのでしょうか。
兼岡さん 私が入職した当初は、まずST室の整備からのスタートでした。失語症や構音障害などの言語聴覚療法の流れを少しずつ整えていき、耳鼻咽喉科の先生の嚥下診療にも関わるようになりました。
さらに、チーム医療にも徐々に参画していきました。最初は栄養サポートチーム(NST)の中に摂食嚥下チームがあり、耳鼻咽喉科医、理学療法士(技師長)、看護師、そして私の4人で、院内の嚥下障害のスクリーニング体制を整えることから始めました。
その後、メンバーが徐々に増え、週1回のカンファレンスが定着し、チームでの活動が充実していきました。リハビリテーション科や耳鼻咽喉科の医師がほぼ同時期に海外留学を経験し、帰国後に、臨床だけでなく研究面でも支えていただいたのが、個人としてもチームとしても成長の大きな後押しになったとも思っています。
摂食嚥下チームの院内の存在感が増す中で、上羽先生が摂食嚥下センターの立ち上げに尽力されて、2021年の正式なセンター発足にいたります。高齢者の誤嚥性肺炎やサルコペニアといった問題への社会的関心が高まってきたことも、追い風になったように思います。
病棟スタッフ向け研修会の様子
ー 取り組みが「摂食嚥下センター」として認められたことで、臨床の質はどう変わりましたか?
兼岡さん 大学病院では治療に難渋する患者さんも少なくないのですが、「一人で抱え込まなくていい環境」があることは、STとして本当にありがたいと思っています。
摂食嚥下リハビリテーションは、窒息や肺炎のリスクととなりあわせです。施設によっては多職種と十分な議論がなく、STが経口摂取の方針を考えざるを得ない現実もあると思います。
万が一、患者さんが誤嚥性肺炎になれば、担当STは自分の対応が不十分だったのではないか、と自分を責めてしまうこともあると思います。
現在は、耳鼻咽喉科やリハビリテーション科の医師がVEやVFで嚥下機能を客観的に評価し、STがリハビリテーション訓練を行い、薬剤師が薬の副作用をチェックし、栄養士が栄養状態をフォローアップする。その多角的な視点を集約し、チームの総意として主治医や患者さんに助言するプロセスが確立されています。
また、当院のST部門としては、さらなるステップアップとして「人との交流や食べることを通して、誰もが日々を楽しみ、明日が待ちどおしいと思えるような世界」の実現というMissionを掲げて、今後10年、20年走り続けられるチームを目指しています。
一緒に「食べる」を支える喜びを
ー 最後に、読者の医療従事者の方々にメッセージをお願いします。
兼岡さん 摂食嚥下リハビリテーションは、STだけで完結するものではありません。PTやOTの皆さんの関わりが不可欠です。
例えば、PTのリハビリテーション後に患者さんを引き継ぐと、姿勢が整い、呼吸も安定しているため、嚥下訓練に取り組む準備ができており、訓練を進めやすいと感じます。また、OTに摂食動作や食具について相談にのってもらうこともしばしばあります。
栄養を摂るだけであれば、点滴や経管栄養でも可能です。しかし、「口から食べ始めると、患者さんの活気が驚くほど変わる」と、PTから教えてもらうこともありました。それは単なる栄養摂取にとどまらず、本人の達成感や尊厳に深く関わっているからだと思います。
社会には「食べるリハビリテーション」の重要性が届ききっていないと感じることもありますが、食べることは「生きること」に直結します。この記事がメディカルスタッフの皆様と言語聴覚士との連携をさらに強めていくきっかけになれば幸いです。
日々当たり前に「食べる」ことがどれだけ人の生きがいになるのかを改めて認識することができました。また「外科手術」に着目したインタビューでしたが、リハビリテーションの重要性にも気づくことができ、言語聴覚士の価値を知る機会となりました。
兼岡さんありがとうございました。
引用・参考
■ 東大病院 摂食嚥下センター
■ 東京大学医学部附属病院 リハビリテーション部
■ 「人生最後まで食べる楽しみを」患者の願いと向き合う喉の外科医 上羽 瑠美(MBS情熱大陸)