令和6年1月1日、新年が始まった矢先に起きた「能登半島地震」
災害発生後には、主要道路が寸断され、救助活動や物資輸入が滞る自体となり孤立した住民が多数発生しました。
そんな中、日本災害リハビリテーション支援協会の石川県支部(以下、石川JRAT)が平時から行っていた住民むけの研修が光を放ち、生活不活発病を防ぐための取り組みを住民主体で行ったことが注目され、その様子は当時の新聞でも取り上げられました。
いつ被災するかわからない状況の中、各都道府県ではJRAT支部局が設置され、今このときも、もしもの時に備えた様々な施策や準備が全国各地で展開されています。
今回、能登半島地震の際に「司令塔」となって尽力された石川JRAT副会長・石川県理学療法士協会会長である北谷正浩さんに、平時の活動や被災時の状況などをインタビューしました。
空白の2週間を支えた「住民の力」
ー 能登半島地震を経験された石川県において、震災当時に避難所生活を支えた「シルバーリハビリ体操指導士」の活動が注目を集めたと伺いました。この取り組みの経緯を教えてください。
北谷さん 始まりは令和元年に日本理学療法士協会が開始した「地域リハビリテーション活動支援事業」でした。私はそのコーディネーターの一人として、住民が主体となる通いの場を広げる研修を受けていました。
当時の石川県は「百歳体操」が主流でしたが、ある自治体の保健師さんから「行政主体ではなく、住民が自ら運営する場所を作りたい」という相談を受けたのがきっかけです。
最大の転換点は、厚生労働省から出された「高齢者の保健事業と介護予防の一体的実施」に関する通知でした。この事業の中で「人材育成」に予算を充てられるようになり、市町村の自己負担が実質ゼロになったのです。
我々は県内19市町村にアンケートを取り、特に課題を感じていた能登地区の自治体へ足を運びました。そうした取り組みが広がり、現在は能登9市町のうち半分以上がこの事業を導入しています。
ー 発災直後、この指導士の方々が活躍されたと伺いました。
北谷さん そうですね。実は発災のわずか1ヶ月前、2023年12月3日に珠洲市で「シルバーリハビリ体操指導士」の交流会を開催していました。
そこで西日本豪雨を経験した尾道市の行政で働くリハビリテーション専門職を招き、「もし今、自分たちの地域で災害が起きたら何ができるか」を話し合ったのです。
震災直後は雪や道路寸断の影響で、JRATが珠洲市に入れたのは1月19日でした。専門職がいない空白の期間、避難所にいた指導士の方々は、自身も被災をして支援を受ける側でありながら「生活不活発病(廃用症候群)を防ごう」と、自発的に体操を始めました。
平時から「行政任せにせず、自分たちでやる」というマインドが醸成されていたからこそ、この動きが可能になったのだと思います。またちょうど1ヶ月前に話し合いをしていたからこそ、自分たちができることを考えて取り組まれたのではないでしょうか。
「災害救助法」に職名明記の重要性
ー 震災対応における「JRAT」の存在意義が問われる中で、法制度の面で大きな変化があったと伺いました。
北谷さん 非常にシビアな話ですが、我々リハビリテーション職が直面したのは「災害救助法」の壁でした。
能登半島地震の発災当時は、同法の中に「リハビリテーション」や「理学療法士」などの職種名が明記されていませんでした。この「名前があるかないか」は雲泥の差を生むのだと我々も震災を通して強く実感しました。
ー 具体的にはどのような影響が出るのでしょうか。
北谷さん 法律に明記されていないと、活動にかかる日当や経費を国庫で賄えません。県がJRATと協定を結ぼうとしても、予算を出すことは非常に難しい問題でした。
また、公務員として働くリハビリテーション職の場合、県知事などの明確な要請がない限り、災害支援は「公務」として認められず、年休(有給)を消化して「個人的なボランティア」として参加せざるを得ません。当然、事故が起きた際の補償も危うくなります。
ー それが災害救助法に明記されたことで一転したのですね。
北谷さん はい。阪神淡路大震災後から関係者(国レベル)や職能団体の働きかけがあり、リハビリテーション職も災害救助法の対象として名前が明記されました。
これにより、県は「費用は国が負担する」という裏付けを持って、現在では多くの都道府県で迅速にJRATと協定が結ばれています。当時石川県では、まだ災害救助法に明記されていませんでしたので発災から1週間後の1月7日に正式に協定を締結しました。
当初はJMAT(日本医師会災害医療チーム)に「見学」という形で同行させてもらう立場でしたが、協定締結後は保健医療福祉調整本部の中に正式な席を確保できました。
調整本部に顔を出せるかどうかで、支援ニーズの把握スピードが全く変わります。こうした実体験から法律に職名が明記されるかどうかの重要性というのを深く理解したわけです。
長期化する復興支援 JRAT組織運営の課題
ー 震災後、復興活動が長期化する中で、組織運営における課題も見えてきたのではないでしょうか。
北谷さん 「本人のやる気」だけでは限界があります。私はロジスティクス(事務局機能)を担っており、発災直後からJMATなどと連携を図り、司令塔としての動きをしていました。
そのため発災から3週間はほぼ不眠不休で、夜中の2時、3時に指示メールを送るような状態でした。代表からは「北谷が燃え尽きたら能登の支援体制が崩れる」と心配されたほどです。
北谷さん JMATをはじめとした支援団体が複数ありますが、リハビリテーション職であるJRATはその中でも長期的に関わる職能団体です。
そのため見落としてはいけないのが、被災地に派遣された職員の影で、残った施設の業務を必死で回している仲間がいるということです。彼らへのフォローがないと、不平不満や「燃え尽き症候群」を招く可能性があります。
こうして事務局機能は、全体的なことを把握しながら支援体制を整えていく非常にハードな活動ではあるため、平時から色んなことを想定して備えておくことが大切なのです。
また私たちは「支援側」のことに注力する傾向がありますが、いつ被災側になるかわからない中で、「受援側」の戦略的な判断も、これからの災害リハビリテーションには求められるということも忘れてはいけません。
支援から「復興リハビリテーション」へのハンドオフ
ー 2024年4月にJRATとしての活動を終結し、「復興リハビリテーション支援事業」に切り替えられた理由を教えてください。
北谷さん 災害救助法の適用期間が切れるタイミングでもありましたが、何より「平時の地域リハビリテーション活動」へハンドオフ(引き継ぎ)するためです。
外部からの支援者が「大丈夫ですか?」と聞いても、被災者の方は遠慮してニーズを言わないことがあります。
やはり、地元のことを知っている地元のリハビリテーション職が動ける体制を作ることが、復興の近道だと思います。そのために事業を切り替える決断をしました。
ー 具体的にはどのような活動が続いているのでしょうか。
北谷さん 県が予算を組み、週に一度、奥能登の市町に協力してくださる病院からリハビリテーション職を派遣しています。仮設住宅の改修相談や、集会所での生活不活発病予防などが主な役割です。
現在は仮設から公営住宅への移行期にあり、コミュニティの再編に伴う支援が急務となっています。これまでのご近所さんとはまた異なる方々と暮らしていく際には様々な課題が出てくるため、これから必要とされる支援を続けていきたいと思います。
ー これから各地域で活動されているJRATの皆様に向けて、メッセージをお願いします。
北谷さん 災害リハビリテーションにおいては、「支援に行く研修」だけでなく、「支援を受ける準備(受援マニュアル)」を徹底していただきたいです。
自分たちが被災者側となった時に、どんな支援が必要で誰から支援を受けていくのか、そうした受援の仕組みが整っていないと支援する側にも混乱が生じるリスクがあります。
◯ 行政との関係構築
災害救助法を踏まえ、費用負担のルールを事前に平時から確認しておくこと。
◯ ロジスティクスの確保
「電話番のためにリハビリテーション職は出せない」という偏見を払拭し、後方支援の重要性を理解させること。
◯ 地域を知る
被災していない地域の会員の皆さまも、広域派遣を想定して、県内の他地域の特徴を平時から知っておくこと。
これらは私たちが実際に被災を経験して必要だと体感したことです。
災害支援は特別なことではありません。「平時が有事」です。住民の困りごとは住民同士が一番理解しています。
我々、専門職の役割は、住民の皆さんが自律的に動けるような「土台」を平時から作っておくことであり、そして、いざという時に彼らの活動をプロの視点で後押しすることです。
今回の能登の経験が、全国のリハ職の「備え」への一助となれば幸いです。
今回の取材で最も印象的だったのは、「災害救助法に名前があるかないか」が、現場の支援スピードと質を左右するという事実です。
情熱だけでは動けない現実を知り、我々専門職は「技術」を磨くだけでなく、「制度」や「政治」の仕組みを理解する責任があると感じました。
北谷さん、ありがとうございました。
引用・参考
■ 一般社団法人日本災害リハビリテーション支援協会 公式サイト
■ 令和6年能登半島地震 復興リハビリテーション支援事業 事業説明(R6年度実績)(石川県HP)
■ リハビリ体操普及で医療功労賞 石川の理学療法士・諏訪勝志氏 「皆さんが元気にいつまでも」(日テレNEWS NNN)
■ 能登半島地震、石川県での地域包括ケアシステムの確立が急務(日経メディカル)