令和7年(2025年)12月16日、長きにわたる当事者・家族会の地道な活動が実を結び、「高次脳機能障害者支援法」が衆参両院の全会一致で成立しました。
本連載では、PT-OT-ST.NETが主催したオンライン座談会をもとに、法成立に向けて活動を続けてきたNPO法人日本高次脳機能障害友の会理事長・片岡保憲さん(理学療法士)と同会事務局・岡村忠弘さん(作業療法士)のお話を全3回にわたってお届けします。
成立した支援法は、単なる行政の制度変更にとどまりません。国を動かした背景には、数字やデータだけでは伝えきれない、当事者・家族のリアルな「生きづらさの物語」がありました。
そして、座談会で語られた法成立までの歩みからは、「命をつなぐADL」の支援から一歩踏み出し、患者・利用者の「生きがい」を支える社会モデルへ転換してほしいという、現場の療法士に向けた強いメッセージも浮かび上がります。
患者・利用者を地域へ送り出すとき、私たちはその人の「未来」をどこまで想像できているでしょうか。明日からの臨床マインドを揺さぶる、熱い思いと実践のヒントをお伝えします。
【連載ラインナップ】
第1回:高知の一理学療法士は、どのようにして「制度」を変えたのか
第2回:高次脳機能障害者支援法の成立で、療法士の役割はどう変わるのか
第3回:現場の実務はどう動くか? そして今後の課題
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第1回:高知の一理学療法士は、どのようにして「制度」を変えたのか
弟の事故と「気づき」の遅れ
片岡さんが障害福祉の領域に関わる原点となったのは、1999年に実弟が交通事故で頭部外傷を負った経験でした。
当時、片岡さんは理学療法士として働き始めたばかりであり、記憶障害や感情のコントロール低下といった症状が高次脳機能障害によるものだと気づき、診断がつくまでに約1年を要したといいます。
片岡さんは当時、セラピストとしての知識と技術を弟に実践し「良くなってきている」と感じる一方で、弟の表情からは言葉にならない訴えを感じ取り、言いようのない違和感を抱えていました。
その後、片岡さんは医療現場から障害福祉分野へと働くフィールドを移されました。そのなかで、福祉領域の専門家から「法律を作る道がある」と教えられたことをきっかけに、法整備を求める活動へと足を踏み出しました。
「圧力をかける運動」から、対話を重ねる活動へ
活動を始めた当初は、数十名で厚生労働省を訪れ、当事者や家族がどれほど困り、追い詰められているのかを訴えることで、行政に働きかけるような手法をとっていた時期もありました。
しかし片岡さんは、「これでは相手にとっても受け止めづらく、建設的な対話にならない」と痛感し、働きかけのあり方を大きく転換させます。
国会議員は、日々多くの関係者と面会しています。一度の説明で、すべてを理解してもらうことは容易ではありません。
そこで片岡さんらは、相手の立場に立った「他者理解」を心がけるようになったと、当時を振り返り述べられました。
同じ要望書を手に何度も足を運び、「もう分かったから、次の話に行こう」と言われるまで、地道に説明を重ねる。そうした粘り強い対話を続けていきました。
データだけではなく「物語」が政治を動かした
国会議員や関係者に現状を伝える際、片岡さんらが重視したのは、データや数字だけではありませんでした。
もちろん、数字を問われたときに答えられるよう、必要なデータは準備していました。しかし、最初に伝えたのは、当事者や家族が実際に経験しているリアルなエピソードでした。
日本の社会保障制度のもとで、実際に何が起きているのか。片岡さんらは、次のような具体的なエピソードを通じて、支援の必要性を訴えていきました。
ある家庭では、退院後、感情のコントロールが難しくなった父親が妻に暴力を振るうようになり、疲弊した妻が家を出て、離婚に至りました。
残されたのは、父親と幼い子どもたちでした。子どもの一人には持病もありましたが、生活は困窮を極めていました。
片岡さんらが2年後に介入した際、家にあった食材は人参1本だけでした。子どもたちは「これは晩御飯だから、今は食べちゃダメだ」と言われ、空腹のまま正座して待っていたといいます。入浴も何週間もできておらず、父親は収入をパチンコにつぎ込んでいました。
このような深刻な状況が、2年間も放置されていた。片岡さんらは、この事実を通じて、制度的な支援の必要性を強く訴えていきました。
社会的行動障害が強く、居酒屋やグループホームでトラブルを繰り返していた男性のケースもありました。
男性は出会い系サイトにのめり込み、利用料を支払うために食事を抜くまでになっていました。ある日、腹痛でトイレにこもっていたとき、偶然サイトから「大丈夫か」というメールが届きます。男性は、それを近くに出入りしている女性からの連絡だと思い込んでしまいました。
その後、既婚女性のポストや車のワイパーに、毎日のようにラブレターを挟むようになり、警察沙汰となりました。
警察で事情を聞かれる中、男性は「やっと心が安らぐ場所を見つけたのに、なぜ全員で邪魔をするんだ」と泣いて抵抗したといいます。
行動だけを見れば、問題行動として受け止められるかもしれません。しかし、その根底には強い孤独感がありました。
その後、支援者が男性を隣県の「バリアフリー演劇祭」に誘い、一緒に出かけました。車内で男性は、「県外に出るのは25年ぶりだ」「ウナギを食べるのも25年ぶりだ」と語ったといいます。
この旅行をきっかけに、男性は「また連れて行ってほしい」という新たな楽しみを見つけました。そして、それまで繰り返していた大きなトラブルは、ぴたりと収まったといいます。
支援とは、問題行動を抑え込むことだけではありません。その人が生きていくための楽しみや、生きがいをどう取り戻すか。片岡さんの語りからは、その視点の重要性が浮かび上がります。
就労支援事業所では、使い古したカッターの刃を、机の縁に金槌で打ち込む行為をやめられない男性がいました。
医療の安全管理の視点から見れば、「危険だから、すぐに止めるべき行為」と捉えられるかもしれません。しかし片岡さんらは、支援者間で協議を重ねたうえで、周囲の安全を確保しながら「見守る」という判断をしました。
6年半後、無数の刃が打ち込まれたその机をアートプロジェクトの展覧会に出品したところ、「新しい現代美術の形」として評価され、賞を受けることになりました。
それまで怒りっぽかった男性は、受賞を機にすっかり穏やかになり、妻を呼んで「俺の作品だ」と自慢するまでになったといいます。
一見すると危険で不可解な行動も、その人にとっては表現であり、意味を持つ行為である可能性があります。支援者がどう見立て、どう環境を整えるかによって、その行動の意味は大きく変わり得るのです。
反対票ゼロ、全会一致での法案成立
片岡さんらは、制度上の課題を文字面で羅列するのではなく、「一人の人間として支援を受けることで、救われる人がいる」という物語を伝え続けました。
その積み重ねは、多くの国会議員の理解と共感につながり、超党派の議員連盟設立を後押ししていきます。
片岡さんは座談会の中で、「誰一人反対する先生はおらず、より良いものにしていこうと賛同してくれた」と振り返りました。
高知の一理学療法士が、当事者・家族の声を受け止め、現場の実践から制度へと橋をかけていった。その歩みは、反対票ゼロ、全会一致での法案成立という形で結実しました。
高次脳機能障害者支援法の成立は、国の制度が動いた出来事であると同時に、現場で見えている当事者・家族の困難を、社会に伝え続けることの重みを示す出来事でもありました。
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