ソウルオリンピック競泳男子100メートル背泳ぎの金メダリストとして知られる鈴木大地氏。競技引退後は、大学教員・研究者、日本水泳連盟会長、初代スポーツ庁長官を経て、現在は参議院議員として活動しています。
競技者を支える環境づくりから、国民の健康増進、幼児期や高齢期の運動、障害者スポーツまで、鈴木氏が向き合ってきたテーマは、理学療法士の仕事とも多くの接点を持っています。
今回、インタビュアーを務めたのは、理学療法士としてスポーツ現場や地域活動に携わる渡邊祐介さんです。渡邊さん自身の経験や地域での実践も踏まえながら、競技者、研究者、競技団体の代表、スポーツ行政、政治という異なる立場を経験してきた鈴木氏に、スポーツを社会の力へ変えるための考えを聞きました。
前編では、水泳を始めた原点、競技者を支える専門職への考え、日本水泳連盟とスポーツ庁で実現したこと、そして行政でやり残した課題を政治の場で実現しようとしていることについてお話を伺いました。
体が弱かった少年が、水泳選手になるまで
――競技者として高いパフォーマンスを追求する中で、ご自身の身体とどのように向き合ってきたのでしょうか。
鈴木氏:
水泳を始めたのは、7歳、小学校2年生のときです。
もともと体が弱く、体を強くするために、自宅の近くにあったスイミングクラブに通い始めました。
最初は週に1回でしたが、半年ほどで体も強くなり、その後は選手育成コース、選手コースへと進みました。体が弱くなければ、水泳を始めていなかったかもしれません。結果として、水泳選手になるきっかけをもらったともいえます。
一方で、関節や足首は柔らかく、学校の体育などで捻挫をして、歩けずに水泳の練習ができなくなることもありました。ただ、その柔らかさは、水泳をするうえでは一つの適性だったのかもしれません。
競技者を支える専門職に求められるもの
――現役時代、けがや身体の不調に対して、どのようなケアを受けていたのでしょうか。
鈴木氏:
若いころは、捻挫などをしても、放っておけば治るという感覚でした。当時は、今でいうトレーナーのような方が、身近にいる時代ではありませんでした。
水泳のコーチはいましたが、競技の指導が中心で、身体のケアやコンディショニングまで専門的に支援する体制ではありませんでした。
私自身も、2回目のオリンピックを目指していた時期にけがをして、そこで初めて鍼灸師やマッサージ師などの方に施術をお願いし、コンディションを整えていただくようになりました。
――アスリートにとって、相談しやすく、信頼できる支援者とは、どのような存在でしょうか。
鈴木氏:
アスリートからすると、スポーツについて理解があり、知識を持っている方のほうが共感しやすいと思います。
ご自身も何かスポーツをしていた経験があるなど、競技者の気持ちを理解して、一緒になって戦ってくれるように感じられる方は、やはり信頼しやすいですよね。
「弱い」のではなく、強化されてこなかった
競技者を引退した後、鈴木氏は大学教員・研究者として活動し、2013年には日本水泳連盟会長に就任されました。
ーー日本水泳連盟会長として、実現できたことは何だったのでしょうか。
鈴木氏:
私は、2013年に初めて会長にならせていただきました。当時46歳で、若かったこともあり周りの方が様々なサポートをしてくださいました。
会長の仕事は、それぞれの専門家の意見を聞きながら、全体をまとめていくことだと思っています。
東京オリンピックの招致にも関わりました。開催国になると、多くの競技で出場枠を得ることができます。
水泳では、競泳やアーティスティックスイミングがこれまで多くの実績を残してきましたが、飛び込み、水球、オープンウォータースイミングなど5競技もあります。
従来は、成績が出ていない競技に対して「弱いから遠征に行かせない」といった考え方もありました。しかし、私は「弱いのではなく、これまで十分に強化されてこなかっただけだ」と考えました。
東京大会を契機として、水泳の各競技を強化していこうと取り組みました。結果として競泳での五輪金メダル獲得だけでなく、飛び込みでもパリオリンピックで日本水泳界として初めてのメダルを獲得することができました。さらに、水球もオリンピック出場を続けています。
また、普及活動にも力を注ぎ、「水泳の日」というイベントを計画・実施し、水泳愛好者を増やしてきました。
少しずつではありますが、競技力を高めることができたと思っています。
スポーツのハードルを下げ、暮らしの中へ
2015年、鈴木氏は初代スポーツ庁長官に就任しました。
競技力の向上とともに力を入れたのが、スポーツを一部の競技者だけのものにしないことでした。
――スポーツ庁長官として、スポーツをどのように社会へ位置づけようとしたのでしょうか。
鈴木氏:
スポーツ庁では、スポーツをもっと身近に、手軽に行ってもらおうと考えました。
スポーツというと競技を思い浮かべる方が多いですが、散歩やジョギング、ウォーキングなどもスポーツです。
スポーツのハードルを少し下げて、昨日の自分を超えるような活動を継続し、健康を支えていこうと取り組みました。
成人が週に1回程度スポーツをする割合も、私が長官になったころより高まりました。
コロナ禍もあり目標には届きませんでしたが、スポーツが競技だけではなく、市民生活や健康にも関わるものだという認識を広げることはできたと思っています。
スポーツ庁でやり残した「健康増進」
――スポーツ庁長官として、十分に取り組みきれなかったことはありますか。
鈴木氏:
5年間の任期でしたので、改革できたこともあれば、まだまだ取り組みたかったこともあります。
運動不足が健康に与える影響については、海外の医学誌などでも指摘されていて、日本人は運動不足で年間約5万人が亡くなっているとの報告もあります。そこで、まずスポーツの実施率を高めようと、さまざまなキャンペーンを行いました。
一部の自治体では、スポーツの普及によって医療費が下がったというデータもありました。しかし、それを全国に展開するところまでは至りませんでした。
スポーツ庁の政策の大きな柱として、スポーツによる健康増進を進め、医療費を適正な方向に持っていきたいと考えていました。
そこまで実現するには、もう少し時間が必要だったと思います。
やり残した課題を、政治の場で実現する
――行政でやり残したことは、現在の政治活動にどのようにつながっているのでしょうか。
鈴木氏:
スポーツによる健康増進を、全国的な仕組みにするところまでは実現できませんでしたので、今でも、それをやり遂げたいという思いがあります。それが、政治家になった理由の一つでもあります。
競技者として自らの身体と向き合い、競技団体では選手が力を発揮できる環境を整え、スポーツ庁ではスポーツを国民の暮らしや健康へ広げてきた鈴木氏。
後編では、その先にある「病気にさせない」社会と、幼児期から高齢期までの運動環境、そして地域で活動する理学療法士への期待について紹介します。